08越智 組織が十分に機能していくにはチームワークが重要ですが、日頃から心掛けておられることはありますか。藤原 「同じ釜の飯を食った仲間は、一生面倒を見る」ですかね。一緒に汗をかいた仲間が苦労していたら、必ず手を差し伸べる。彼らがどう道を切り開いていけばよいかを共に考えます。これは母方の祖父の座右の銘「敬天愛人」に影響されているのだと思います。越智 親身になって支えることは大事ですね。2019年にPMDA(医薬品医療機器総合機構)の理事長になられました。PMDAから日本の医療をどう見ておられますか。藤原 国民皆保険で誰もが均一で質の高い医療を受けられるのは素晴らしいことです。しかし、最近は新しい薬が日本に入ってこない「ドラッグ・ロス」が特に深刻な問題となっています。越智 それは薬価が安いからですか。藤原 それもありますが、日本での開発に魅力を感じない海外新興企業が増えてきているからでしょう。日本語でのコミュニケーションが必要ですし、医療機関の研究マインドが低下していることも原因です。越智 そうですね。日本は、大型の機器や素晴らしい研究にお金をかけますが、若手研究者にお金が回っていないという問題があります。では、どうすれば、海外から見て魅力的な研究体制が築けるとお考えですか。藤原 やはり臨床試験を経て、製品を世に出すまでの流れを、医師が知っておくべきでしょう。私の米国留学時の1996年に米国臨床腫瘍学会と米国癌学会が合同で、若手研究者(医師)を対象に臨床試験の方法論を教育するワークショップを開始しました。全米から100人が選ばれ、製品化について約1週間、集中的に学びます。今も続いていますが、日本では同様の取り組みは今もありません。おそらく教えられる人材が少なく、実施のハードルは高いでしょう。製品化では、新たな治療法を開発した越智先生の事例がありますね。越智 患者さん自身の健常な膝関節軟骨の一部を取り出して立体的に培養し、本人の軟骨の欠損した部分に移植するという再生医療技術を開発しました。その際、軟骨細胞の立体的な培養法を愛知県のベンチャー(ジャパン・ティッシュ・エンジニアリング)に技術移転しました。スポーツ外傷などで起きる膝関節の軟骨欠損症の根治療法として、多くのアスリートを支えたほか、2013年4月から保険が適用され、新たな再生医療事業というビジネスの創出にもつながりました。藤原 先生のような事例があまりに少なく、医学部の授業に還元できていないのです。越智 現状を変えるため、米国のようなワークショップをPMDAが主催され、それを資格化するというのはどうでしょう。藤原 医学教育が重要と思います。米国では基礎研究やTR(トランスレーショナルリサーチ=橋渡し研究)の指導やその先の製品化までの流れ、さらにFDA(米国食品医薬品局)の仕事もしっかり教育していますが、日本の医学教育は、臨床試験の方法論や薬事の審査などまで至っていません。越智 先生のお立場から、働きかけは。藤原 もちろん、文部科学省へ製品に至るまでの流れを教えるよう働きかけていますし、政府の会議でも指摘しましたが、難しいですね。現状を変えるには財政面での見直しに加え、仕組みを変える必要がありそうです。越智 引き続き頑張ってください。ところで大学では何が面白かったですか。また、仕事の役に立った講義はありましたか。藤原 一番面白かったのは、講義よりもウサギやマウスを使った一連の実験でした。好きなことに集中できました。そこでの多くの経験が、病理医志望になったことにつながっていると思います。越智 中学や高校の時にも、先生のようにやりたいことに集中できる環境を作り、そういった個人の活動を一発入試ではない方法で合否を判断できる仕組みを現在、検討中です。藤原 「好きこそものの上手なれ」ですね。越智 最後に大学に望むこと、特に広島大学に期待することは何でしょう。藤原 在学中、あるいは卒後教育の中に、医薬品や医療機器などを製品化する過程について学ぶコースを作ってもらいたいですね。今はどの大学も中途半端で、基礎研究は得意でも、人への医療を変えるところまでは教えきれていません。広島大学は、そこをしっかり教える大学であってほしいですね。越智 独自にそういった仕組みを作るには、教えられる教授陣の確保が重要ですね。藤原 海外の大学との連携も一つの手です。現段階でこの分野をリードしているのはオックスフォード大学でしょう。ハーバード大学にも、国際共同臨床試験を実施する部署がありますね。こういった大学との連携が実現すれば可能ではないでしょうか。越智 ぜひ先生にご助力いただきながら、新しい仕組みを作っていきたいと思います。本日はありがとうございました。書類に囲まれるPMDA理事長室Ochi Mitsuo 1952年愛媛県生まれ。77年広島大学医学部卒業。95年島根医科大学教授。2002年広島大学大学院教授。広島大学病院長などを経て、15年広島大学長に就任。膝関節、スポーツ医学を専門とする整形外科医。開発を手掛けた軟骨の再生医療は、日本発として初の保険適用となった。15年紫綬褒章を受章。19〜21年文部科学省科学技術・学術審議会 総合政策特別委員会委員、17〜22年日本学術会議会員、11〜17年および22年から日本学術会議連携会員、21〜23年文部科学省科学技術・学術審議会委員、文部科学省中央教育審議会委員。日本医療は海外から魅力ない?大学教育から日本医療に変革を越智 光夫
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