越智 その先生が、日本の電波工学の第一人者で、宇宙に深く関係する電離層、磁気圏、太陽、プラズマなどを研究されていた前田憲一先生だったのですね。そうすると、先生はこの研究を積極的に望まれたわけではないけれど、これも「運」として受け入れられたのですね。電波工学は新しい研究テーマとなりましたが、苦労されたことはありますか。松本 壁にぶつかったということは特になかったですね。同じ研究分野には、世界に20人くらいライバルがおられましたが、彼らに負けないという自負は新人ながらありました。ある時、理学部の先生が、私が研究を記していたノートに興味を持たれ、『ロシアの先生の研究内容が君の研究と似ている』と言われましたが、その当時、人の論文を読むより自身の研究に没頭していました。越智 何の不安も気負いもなく新たな研究テーマに勤しまれたのですね。ここからは大学のことについてお伺いします。私は2019年から大幅な大学改革に着手し、11あった大学院の研究科を4つに集約し、さらにその4研究科を横断的に学べる研究院も作りました。異なる研究領域を学ぶことで視野を広げ、さらに専門領域への深化も図り、50年後、100年後にどうあるべきかをしっかりと考えられる人材の育成を目指しています。先生の総長時代はどんな課題に当たられましたか。松本 私が総長に就任した時、ある懇談会の席で『幅広いことを考える癖をつけてはどうか』との助言を受けました。大学院生は常識がないとか、教養が足りないという話は、何人かから聞いていました。そこで、越智学長が進められた改革のように、複数の学部などで行っている物理や化学といった講義の共通化に取り組みました。かなり揉めましたが、2年かけて実現しました。越智 学生の大学院への進学数の減少も大きな問題です。その要因の一つに、収入のない状況で学業を継続することが大変厳しい点があります。また、企業は特定分野の専門知識に詳しい大学院生より、浅いけれどさまざまな分野を幅広く学んだ学部越智 日本の科学力低下は、大学院生の数が他国と比べ、少ないことも要因の一つではないでしょうか。現在の日本の科学技術の現状は、ポスドクが非常勤の講師を渡り歩く状況です。企業への就職も選択肢の一つですが、企業は、科学技術の未来を担える人材への投資により力を入れるべきではないでしょうか。企業には、自社の発展を目指すだけではなく、日本の科学技術の未来生を好む傾向があります。そうなると日本の科学技術の将来が大変不安になります。松本 難しい課題ですね。大学院を出て博士号は取得したけれど、正規の研究・教育職に就いていない、ポストドクターいわゆる“ポスドク”と言われる先輩があちこちにいる現状を見て、優秀な若い人が大学院にあまり進学しない傾向があります。一番の問題は、世間で学位にあまり敬意が払われていない点です。特に産業界ではそういった見方が強いようです。今の大学院生には、学部生よりも高い教養を身につけ、より深い専門知識や上手に話せるといった教育ができていません。学ランが凛々しい青年期から、研究に没頭した壮年期、改革に挑んだ総長時代の実年期までのスナップ写真あれこれOchi Mitsuo 1952年愛媛県生まれ。77年広島大学医学部卒業。95年島根医科大学教授。2002年広島大学大学院教授。広島大学病院長などを経て、15年広島大学長に就任。膝関節、スポーツ医学を専門とする整形外科医。開発を手掛けた軟骨の再生医療は、日本発として初の保険適用となった。15年紫綬褒章を受章。19〜21年文部科学省科学技術・学術審議会 総合政策特別委員会委員、17〜22年日本学術会議会員、11〜17年および22年から日本学術会議連携会員。21〜23年文部科学省科学技術・学術審議会委員、文部科学省中央教育審議会委員。07Matsumoto Hiroshi1942年中国蒙古自治邦張家口生まれ。67年京都大学大学院工学研究科修士課程を修了後、NASA(ナサエームズ研究所客員研究員、スタンフォード大学客員研究員などを経て、87年に京都大学超高層電波研究センター教授。宇宙科学・宇宙電波工学の第一人者。その後、2008年京都大学第25代総長に就任。15年理化学研究所理事長、18年公益財団法人国際高等研究所所長。京都大学名誉教授。07年紫綬褒章、08年国際電波科学連合 Booker Gold Medal、14年ブリストル大学名誉工学博士、15年フランス共和国レジオンドヌール勲章シュヴァリエ、17年大英帝国勲章OBE、21年瑞宝大綬章。社会が求めるのは、幅広い知識企業の投資か、大学の努力か■■■■■■■■■■
元のページ ../index.html#8